プロフィール

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ビジネスデザインコーディネーター
飯尾 渉 (いいお わたる)

WAKTAL代表

いくつかの民間企業で企画・デザインを手がけたのち、平成16年に独立。 主に中小企業さんの販売促進のために、経営戦略に沿ったデザインを制作しています。

また、各種販促媒体をクライアントさんに合わせてマッチングさせるコーディネートを行い、自称・中小企業デザインのホームドクターとして信頼していただいています。

近年は、コンセプト立案のためのワークショップを開き、個人レベルから立ち上がるコンセプト立案のワークショップを行っています。


↓↓↓詳しく書くとこうなります。
(ご興味のある方は読んでみてください。※長いです!)

1970年、愛媛県西条市生まれ。現在も西条市に在住。 父は航空自衛隊の経験のある真面目人。 母は花や筆、俳句にいそしむ感性人。 「贅沢は敵だ」が家庭のモットーでした。

高校卒業と同時に上京。デザインを学び、大阪で就職。デザインのプロダクシ ョンで働きました。華々しい広告を手がけられていた当時の先輩はいまも大阪 で大活躍されています。

そのときにとある先輩上司から借りた、沢木耕太郎の「深夜特急」に感銘を受 け、すぐに会社を辞め、長野県で住み込みで働きました。(いま思えば、私を 辞めさせる手段だった?!)

長野でお金を貯めて(山では¥を使う場所が無い)から、バックパッキングと 自転車での山下りに目覚め…仕事は放浪しながら…住む場所も変えて転々と… 。
>そうなんです、青春を追い求める若者にありがちな、 ドロップアウトです

そのまま当然のように無職になり、月4000円の家賃の鍵のかからないバラックに住みながら、小麦粉を 練って食べる生活…。働く意欲は全く無いまま、壊れかけた軽四の箱バンで寝 泊まりしながらフラフラしてました。

将来の希望なんかありませんから、マンションからの飛び降り自殺をなんど躊躇ったことか。。。 いまでこそ笑って話せますけど(笑)

そんなダメダメ人生を歩んでいた私も、人のご縁に助けられて、アルバイトの 仕事をいただき、なんとか立ち直りました。そこからフルタイムで働くように なり、正社員になり、払えなかった保険料や年金もさかのぼって払えるように なったのは、自分でも不思議です。

いまおもえば、いいデザインに仕上げたときに、お客さんから「いいデザインだね」と喜んでもらえたのが喜びで、続けてこれたのだと思います。

でも…ずっと疑問だったことがあるんです。

それは「費用対効果」なんです。

元無職の私が言うのもなんですが、広告は最終的に企業のためにあります。 最終的には利益を上げるのが目的です。

しかし、デザイナーが営業マンに指示されるのは、「なんかええもん作っとい て。」なんです。
「お客さんが何案か見たいいうてるから、3案か4案つくっといて。」なんて指 示がほとんどです。

で、しばらく音沙汰ないから「あれどうなりました?」って聞くと、 「ああ、あれね、あかんかったわ。また頼むわ言うてたで。」

「一生懸命に残業して作ったのに、それはないですよ!」と反論すれば、 「なんや、誰が仕事取ってきてやっとるおもとるんじゃ?」という始末。
お客さんが何を求めてるかも聞いてこないままデザイン何案もつくらせとい て、それはあんまりだ!!

こういう営業マンはお客さんから効果があがらなかったことを言われると、 「まあ、天気も悪かったですしね~、もっと広告出さないと効果は現れませんよ」 なんてことを平気で言います。

“これじゃあダメだ、こんなのじゃお客さんの為にならない”

そう思ったんです。だからいつかは一人でやって、お客さんと一緒に売上げを 上げたい、そう思ってたんです。

そして平成16年、母が倒れたこともあって会社を辞め、西条でデザイン業を始 めました。

独立当初は意気揚々と看板を掲げました。
名前は“ワクタル”。どうせやるならワクワク楽しく!!という希望と、 私の名前のワタルをひっかけて“ワクタル”と決めました。 よ~し、バンバンやるぞ~!!と鼻息荒くしていたのですが…。

ところが、蓋をあけてみると、仕事が無い!よく考えてみたら、コネクション もお金も情報も無い。おまけにノウハウも無い。あるのは机と携帯電話、iMac が一台だけ。で、どうやって仕事をとるの?

当時下の息子が生まれたばかりの私は、赤ん坊の泣き声を聞きながら、額にい や~な汗をかきました。

仕方がないので、午前中は営業、午後はアルバイト、夜は勉強と育児という 生活をしばらく続けました。それでも仕事はまったく増えず、夜に妻と子ども の寝顔を見て、“情けない父ちゃんでごめん…”と泣きました。当時私は34歳 でした。

このときにアルバイトでお世話になっていた自転車店での経験は、いまの私の重要な 基礎になっています。店内の陳列やライティング、そしてPOP書きをしこたまさせ てもらいました。ある程度好き勝手させてくれたんですね。

POPを書いたら売れたり、販売位置を変えたり別のジャンルで提案したりすると 急に売れることがありました。店主さんも喜んでくれました。 また、配達のときに一言おきゃくさんに声がけしたり、笑顔で到着したりして いると、本当にお客さんが喜んでお金を払ってくれたりするんです。

ここで大きな発見をしたのですが、それは【視点の切り替え】です。 売り手目線を、買い手目線に切り替えてみると、いろんなことが見えることに 気がつきました。

また、それまではデザイナーという影の存在だった私が、店 員として“なりきる”ことで、こんなにも喜んでもらえるのか!ということにも気がつ きました。今では、貴重な経験をさせてくれた店主さんに感謝しています。

そうこうしているうちに、名刺のデザインを頼みたいという業者さんが現れま した。その方はずいぶん前にお世話になった印刷屋さんでした。 はじめての仕事は、普通の名刺のデザイン。デザイン料は1000円でした。

「先に払っとくわ」といって財布から1000円をくれましたが、業者さんが帰っ てから手に1000円を握りしめて泣きました。 私の目からこぼれた涙が、1000円札にポタリポタリと落ちました。その音はい までも私の耳に残っています。

それからはすこしづつ仕事をいただけたり、お客さんがおきゃくさんを紹介し てくださったりして、なんとかアルバイトをしなくてもいいようになりました。

業者さんの下請けもしましたが、相変わらずお客さんの身になって考えていな いテキトー業者さんからの依頼は全てお断りしました。そのぶん売上げは厳し くなりましたが、人をだますようなデザインはしたくない、という信条を守り ました。

ただ、経営の経験の無い私でしたので、ずいぶん裏切られたり、いいように利 用されたりしました。お金にならない仕事をする結果になったり、お金を払っ てもらえないこともありました。そんなときに、家に帰って子どもの寝顔を見 ると、情けなくて辛くなりました。

そんな中、必死に模索しつつ、次第にお客様の信頼をいただき、なんとか現在 に至っています。いまでは、「ワクタルさんと一緒に自社の販促を考えるのは楽しい!!」と言 っていただけています。

ワクタルをあたたかく見守ってくださったお客様には本当に感謝しています。 お客さんに仕事をいただきながら育てられた、そんな感覚です。

2009年には、愛媛県や愛媛銀行さん、えひめ産業振興財団さんとも契約をさせ ていただき、派遣アドバイザーとして関わらせていただくようにもなりました 。また、ビジネスデザイン助成事業の審査員もさせていただきました。ワクタ ルを信頼してくださっていることに心から感謝しつつ、販売促進の支援のため に主に愛媛県内でお手伝いさせていただいています。

私は現在39歳、2010年も新しいことにチャレンジします。停滞はもはやこの時 代は許してくれません。そのためには、感性を豊かにして、情緒的価値を大切 にして毎日を笑って生きていきます。ワクワク、楽しく。お客様と一緒に歩い ていきます。

笑うのが大好きな我が家の子どもたちは、来年から小学生。子どもたちの笑い 声はなによりの宝です。この宝を守るために、こども虐待防止“オレンジリボ ン運動”にサポーターとして登録しました。

ご自身の子ども、そして地域の子どもたち、そして世界の子どもたちの笑顔の ために、みなさんもぜひ参加してくださいネ! オレンジリボン運動HP→http://www.orangeribbon.jp

日々学び。本当に死ぬまでが学びです。 さあ、ワクタルと一緒にビジネスを楽しくやりましょう!

(読んでくださった方、ありがとうございます!きっといいことありますヨ !)

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