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キャッシュフローを最小限までシンプルに視覚化することで経営の未来が手に取るようにわかるようになります。経営の未来が見えることで、投資計画や人材育成、融資獲得はもちろん、マーケティングやブランディングまでもが見通せるようになるのです。ワクタルは経営ビジョンとお金の流れの視覚化を起点に、社長・院長のお悩みごとを解決し、ビジョンの実現をサポートするパートナー型コンサルタントです。

ワクタル デザイン&イノベーション

Week Day 8:00-18:00 Skype & LINE OK.

プロローグ

1970年、愛媛県西条市生まれ。現在も西条市に在住。父は航空自衛隊の経験のある真面目人。母は花や筆、俳句にいそしむ感性人。「贅沢は敵だ」が家庭のモットーでした。

平成元年に愛媛県立西条高校を卒業し、上京。立川美術学院で浪人したのちに武蔵野美大短期学部でデザインを学んだのちに大阪で就職。デザインのプロダクションで働きました。大手広告代理店の仕事で鍛えられた当時の先輩はいまでも広告業界で大活躍されています。

ドロップアウト人生のはじまり

大阪時代に先輩上司から借りた沢木耕太郎の「深夜特急」に感銘を受け、すぐに会社を辞め、長野県で住み込みで働きました。長野県では旅館の中居さんや八ヶ岳で農業をしてお金を貯めました。山奥ではお金を使う場所が無いので結果的に貯まりました。

その後はバックパッキングに目覚め…仕事はいろいろ放浪しながら…住む場所も変えて転々としました 。これは青春を追い求める若者にありがちな、 「ドロップアウト」です。そのときの合い言葉は「豊かな青春、惨めな老後」でした。いま考えたら豊かな青春ですらなかったように思います。

そのまま当然のように無職になり、最終的には愛媛県松前町にある月4000円の家賃の鍵のかからないバラックに住みながら、毎日小麦粉を練っては焼いて食べる生活でした。小麦粉は安くてお腹が大きくなるので重宝しました。隣に住んでいた方はそんな私を「クレープ焼きの兄ちゃん」と呼んでいました。

無力感との葛藤

そのまましばらくは、働く意欲が全く無いまま、壊れかけた軽四の箱バンで寝泊まりしながらフラフラしてました。この頃に警察署の刑事さんから職務質問を受けました。私はやつれたコートを着て海岸でガラスや貝殻を拾ってたんですが、なにか特別な“モノ”を拾ってると思ったのだと思います。

もう将来の希望なんかありませんから、マンションからの飛び降り自殺をなんど思い描いたことか。ある冬にふと、石手川の近くにある10階建てマンションの屋上を目指していました。屋上へのドアは鍵がかかってましたから、仕方なく踊り場から手すりを乗り越えました。ぶら下がるところまでやったのですが、どうしても手を離せませんでした。俺は死ぬ勇気すら無いのか…と無力感で悲しくなりました。

“立ち直りたい”

そんなダメダメ人生を歩んでいた私も、人のご縁に助けられて、アルバイトの仕事をいただきました。松前から新居浜まで車で行って、公園の駐車場に車をとめて寝泊まりしました。冬にあまりにも寒かったので拾った石油ストーブを車内で焚いてウトウトしてしまいました。ふと気がつくと手足に力がはいりません。ああ、死ぬのかな、この死に方って意外と楽かも、と思いましたが、バイトの仕事が残っているのが気になって、動かない手を必死で動かして消火ボタンを押し、窓を開けました。今考えるとあれは危険でしたが、仕掛かりの仕事のために生きようとする自分に驚きました。

やがてアルバイトから契約スタッフになり、仕事も安定してからは結婚もしました。妻が子供を欲しがったのですがお金が無い私には無理だと思っていました。あるとき、取引先の所長さんがこんなことを言ってくれました。「オマエにカネが無いのと子供を産んで育てることには何の関係もないんだぞ!!」その言葉に背中を押されたのを今でも覚えています。

その後はアルバイト先の取引先企業さんに転職し、期間社員を経て正社員になりました。やがて払えなかった保険料や年金もさかのぼって払い、なんとか人並みの生活がなんとか送れるようになりました。

欲求の増加

私の仕事は、営業担当者が持ち帰ったクライアントさんの案件をデザインすることでした。いいデザインができあがった時は嬉しいですし、担当者からも好評であれば励みになりました。もちろん社内の軋轢やパワーハラスメントのようなものもありますが、それでも「ああ、この仕事やっててよかったな」と思える瞬間もありましたから、なんとかやっていけました。

しかし、やがてある程度仕事がこなせるようになると、仕事内容にたいしての疑問がふくれあがっていきました。それは、「だれのためにデザインしているのか?」です。

デザイナーが営業マンに指示されるのは、「なんかええもん作っといて。」なんです。
「お客さんが何案か見たいいうてるから、3案か4案つくっといて。」なんて指示がほとんどです。
で、しばらく音沙汰ないから「あれどうなりました?」って聞くと、「ああ、あれね、アカンかったわ。」で終わりです。面倒くさそうに言うわけですよ。

「一生懸命に残業して作ったのに、それはないんじゃないですか?」と反論すれば、「誰が仕事取ってきてやっとるおもとるんじゃ?」という始末。お客さんが何を求めてるかもちゃんと聞いてこないままデザイン何案もつくらせといて、それはあんまりだ!と、当時の仲間と憤ることはしばしばでした。世の中の営業マンがみんなそうだとは思っていませんが、営業車の窓からだらしなくタバコを挟んだ腕を出して、「あのクソ客はヨォ、バカヤロウが。」なんて言ってる営業マンの姿を見ると、仕事を割り振られるのが情けなくなってきました。

“これじゃあダメだ。こんなやりかたじゃ誰の為にもならない。もっとお客さんの方を見ながらデザインしなきゃ”

私はそう思ったんです。なにかが心の中ではじけた瞬間でした。
そして2005年、母が一時的に倒れたこともあって会社を辞め、西条でデザイン業を始めました。

旗揚げと現実

独立当初は意気揚々と看板を掲げました。名前は“ワクタル”。仕事はワクワク楽しく!!という希望と、アイデアが湧き出る様子を思い浮かべて“ワクタル”と決めました。

よ~し、バンバンやるぞ~!!と鼻息荒くしていたのですが、蓋をあけてみると、仕事が無いんです!よく考えてみたら、コネクションもお金も情報も無い。おまけにノウハウも無い。あるのは机と携帯電話、おんぼろのiMac が一台だけ。で、どうやって仕事をとるの?当時、下の息子が生まれたばかりの私は、赤ん坊の泣き声を聞きながら、「これ、やってしまったかも…」と額にいや~な汗をかきました。異業種交流会で知り合った経営者さんのところに売り込みに行ったらボロカスにコキ卸されました。(因みにこの経営者さんは現在消息不明)

仕方がないので、午前中は営業、午後はアルバイト、夜は勉強と育児という生活をしばらく続けました。それでも仕事はまったく増えず、夜中に妻と子どもの寝顔を見て、“情けない父ちゃんでごめんよ…”とひっそり泣きました。当時私は34歳でした。

世界観が変わった、ある発見

このときにアルバイトでお世話になっていた自転車店での経験は、いまの私の重要な基礎になっています。店内の陳列やライティング、そしてPOP書きをしこたまさせてもらいました。ある程度好き勝手させてくれたんですね。

そこでは多くの発見がありました。POPを書いたら売れたり、販売位置を変えたり別のジャンルで提案したりすると 急に売れることがありました。店主さんも喜んでくれました。また、配達のときに一言お客さんに声がけしたり、笑顔で接していたりしていると、本当にお客さんが喜んでお金を払ってくれたりするんです。レジも打ちましたが、支払いのお客さんが来ることがわかっている時には店のBGMを変えたりすると、ノリノリで支払ってくれたりもしました。ほかにもニュースレターを書いたりといろいろやりましたが、それを許してくれた店長さんには感謝です。

ここで大きな発見をしたのですが、それは【視点の切り替え】です。売り手目線を、買い手目線に切り替えてみると、いろんなことが見えることに気がつきました。また、それまではデザイナーという裏方の存在だった私が、店員として売場に立ち、店員に“なりきる”ことで、お客さんとの接し方次第でこんなにも喜んでもらえるのか!ということにも気がつきました。いまでいうマーケットインの原点みたいなものでしょうか。デザインをマーケティングに照らし合わせて考える私のスタイルはこの頃にはじまっています。

初の仕事依頼は…

そうこうしているうちにやっと、私に名刺のデザインを頼みたいという業者さんが現れました。その方はずいぶん前にお世話になった印刷屋さんでした。はじめての仕事は、普通のタテ型名刺のデザイン。そのデザイン料は1,000円でした。「先に払っとくわ」といって財布からシワの入った1,000円をくれましたが、業者さんが帰ってからその1,000円を手に握りしめて泣きました。私の目からこぼれた涙が、1000円札にポタリポタリと落ちました。その音はいまでも私の耳に残っています。涙のワケは、ありがたさと、そして悔しさでした。

なんとか軌道に

それからはすこしづつ仕事をいただけるようになりました。お客さんがお客さんを紹介してくださったりして仕事も徐々に増え、なんとかアルバイトをしなくてもいいようになりました。反対に、お客さんの身になって考えていない業者さんからの依頼は全てお断りしました。そのぶん売上げは厳しくなりましたが、人をだますようなデザインはしたくない、という信条を守りました。

経営の経験の無い私でしたので、ずいぶん裏切られたり、いいように利用されたりしました。お金にならない仕事をする結果になったり、お金を払ってもらえないこともありました。そんなときに、家に帰って子どもの純な寝顔を見ると、情けなくて悔しくて辛くなりました。

そんな中、必死に模索しつつ、次第にお客様の信頼をいただき、なんとか現在に至っています。いまでは、「ワクタルさんと仕事を依頼すると楽しいですね」と言っていただけるのは誇りです。

こんな私をあたたかく見守ってくださったお客様には本当に感謝しています。お客さんに仕事をいただきながら育てられた、そんな感覚です。

未来をワクワク、楽しく。そして美しく。

その後は、お客さんの立場に立って、必要なことを精一杯させていただいています。わずかづつではありますが順調に売上げを伸ばすことができましたので、地域のこどもたちに絵本の読み聞かせをする余裕もできました。

また、2009年には、(財)えひめ産業振興財団さんや地元の金融機関さんとアドバイザー契約をさせていただき、コンサルティング業務に関わらせていただくようになりました。こんな私を信頼してくださっていることに心から感謝しつつ、奉仕の精神をもってお手伝いをさせていただいております。

ワクタルはこれからも感性を豊かにして、情緒的価値を大切にして毎日を笑って生きていきます。ワクワク楽しくお客さまと一緒に歩んでいきます。今後ともよろしくお願いいたします。

(*長文、読んでくださってありがとうございました。恥を忍んで書かせていただきました。)