修行するということ。
2012年9月10日
腹割ってはなしましょうよ!
本音で話さないひとは嫌いなんですよ!
一見、熱くてエネルギーのある言葉に聞こえますが、
そうおっしゃっている相手さんの話の内容は
開きなおりにしか聞こえない、ということもあります。
ここでこちらもブチ切れるのは簡単です。
それをぐっとこらえて我慢するのが大人だと思うのです。
まわりの目もこの状況を見ています。
ここで事を荒らげてしまっては自分も同じですし、
ほかの方にも迷惑がかかります。
正直、ストレスかかります。
因果な仕事だ…と心を折ることも多いです。
でも、
これもまた修行なのだと言い聞かせています。
ひとを助けることができるようになるためには、
闇をも受け入れる器が必要です。
自分の器は、
陶芸のろくろのように遠心力で勝手に広がるときと、
土と対話しながらゆっくり押し広げるときがあるのでしょう。
やがて見事なバランスになれるように、
私は修行を選びます。